オープンであることの難しさ。


先日、友人と私の病気について話す機会がありました。

私自身は、仕事仲間には別に隠すことはせず、オープンでありたい、という気持ちがあるので、基本、聞かれたら答える、という風にしています。小さい規模でやっていて、気心知れた間柄だからできることですが、私がカミングアウトすることで、何でそれができないのか、とか、普通に生まれる疑問を議論することで、将来的にいい信頼関係が生まれることを期待しています。

ただ、みんな、理解があると言っても普通の人。私も病名が告げられる前は何の知識もありませんでした。

だから、やっぱり色んな事を言われます。

本人じゃないと分からないこともあるんだろうけど、今だからこそ、頑張れる。若い時にしかできないことがあるんじゃない?とか、再発率が高いとか言っていても、いつか薬がやめられるんじゃない?とか。そうやって手を抜いてると普段も出てくるぞ、とか。

理解しようとしてくれているだけに、半分嬉しいし、半分複雑です。。

私も頑張りたい。

でも、今頑張ったら、明日きっと会社に行けなくなる。

薬もやめたい。普通の人と同じように、お酒を飲んで楽しく憂さ晴らししたい。

でも、今薬を止めたら、きっとまた仕事にのめりこんで、徹夜ででも仕事をしてしまう。

それで、集中力がなくなった自分を責めてしまう。

データも資料も、全部とっちらかったまま、みんなに迷惑をかけて休まなきゃいけない。

私の病気は、結局のところ、頑張ってしまう病なんだと思うんです。

「仕事ができる」のと、「一生懸命仕事をする」のが違うように、私はおかしなバランスで仕事に取り組んでしまう。それが私の病気。

結果上がってくる成果は(物量がこなせるだけに)そこそこだけど、粗が目立ったり、こだわりが強くなりすぎてクライアントの要望に応えられなかったり、冷静に自分の仕事を見れなかったりする。そしてそれ自体を自覚できない状態が私の病。

それを理解してもらうのに、まだまだ時間がかかると覚悟はしています。でも、だからこそ、味方につけることで自分の状態を見てもらえるんじゃないかなと期待もしています。

一つの病なんだけど、周りの人たちの目から見るとまだまだ分からないものなんだということが、何人かと話しているうちに分かってきました。

だから、視点が全く違って、色んな意見を言われる。

鬱病は、「頑張れ」って言ってはいけない、とかそういうレベルではあるけど、理解されはじめている。でも、双極性障害というのはまだまだ理解されていない。私も実感としては分からなかった。だから伝えられなかった。なんか辛いんだっていうことを。その「なんか」がわからない。

医者の言う事も、正直まだちゃんと信用できていない。

薬を飲むことも、正直どこかでおかしいと思っている。

私は本当に病気なのかと思うことがある。

でも、それでいいのかもしれないと思ったりもするんですよ。

だって、病名が病人を作り上げてしまうことって多いじゃないですか。

私は病人であるかもしれないけど、色んな幅がある中での、双極性障害2型という診断だと思っている。個性としても見る事ができるかもしれない病、障害としても見る事ができるかもしれない病、そんな曖昧な枠にとりあえず入ってみました、という感じで自分の病気をしばらくは眺めていたいな、と思っているんですよね。

自分自身を病気の枠にはめて甘えているように言われるのは、とっても傷つくことだけど(恐らく同じ病名の診断を受けた方なら経験があると思います)、身の回りで私を支え続けてくれている人たち、私が理解して欲しいと思う人たちに、まずは自分の状態や辿ってきた経緯をシンプルに伝えたいな、と思っています。

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